そうだ ペパクラ・精密D51、作ろう(その4)

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今日は節分です。
孫達の「鬼は外」「福は内」の声を聞きながら、ペパクラD51の製作が進行中です。
スーパーリアルモデル『蒸気機関車 D51 498』です。

≪国鉄D51形蒸気機関車498号機≫ Wikipediaより抜粋

D51 498は、東日本旅客鉄道(JR東日本)が動態保存する蒸気機関車で、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が製造したD51形蒸気機関車の1両である。
D51 498は、1940年11月24日に鉄道省鷹取工場にて落成した。
岡山機関区に配置された後に、吹田、平、長岡第一、直江津、新津、坂町と各機関区を転々とした。
1972年に梅小路蒸気機関車館に動態保存され、現在山口線で保存運転を行っているC57 1とも同時に所属していた。
1972年10月に鉄道100周年記念で八高線にて運転されたイベント列車の牽引を最後に運用から外れた。
その後、同年12月1日に車籍抹消となったが、同日に群馬県利根郡月夜野町(現在のみなかみ町)に貸与されることが決定し、4日後の5日に上越線後閑駅前(構内脇)にて静態保存された。

国鉄分割民営化後の1987年10月、JR東日本では「地域密着」をテーマに「蒸気機関車を復活して走らせよう」との動きが持ち上がった。
折から横浜市の「みなとみらい21」地区で、1989年に開催される「横浜博覧会」の事務局から、品川駅 - 博覧会会場間をSL列車で運転したいと正式に申し入れがあり、これに間に合わせるためSLの復元計画がJR東日本内で正式に決まった。
これにより、関東地方に保存されているさまざまな静態保存機をリストアップし、調査の結果、交通博物館に保存されていたC57 135とこのD51 498が一番良く整備され、保存状態の良い機関車であることが判明した。
JR東日本は、蒸気機関車の代名詞的存在であり、最もポピュラーな「デゴイチ」を走らせることが、地域密着を図るうえで最も効果的であると判断し、当機の復元が決定した。

1988年3月に上越線後閑駅の静態保存場所から復線し、DD51形ディーゼル機関車に牽引され深夜、高崎運転所へ回送、6月に大宮工場へ分解のうえ陸送し、動態復元に向けた大掛かりな復元工事を11月25日までに完了した。
その後、動態保存機として車籍が復活され、同日付で正式に高崎運転所に配属となっている。
復元に際し、できるだけ原型に近付けるために前照灯(ヘッドライト)の変更 (LP403→LP42) 、デフレクターバイパス弁点検口の閉口、キャブ屋根延長部の切除、蒸気ドーム前方手摺りの小型化、テンダー重油タンクの小型化などの工事も行われている。
また、ボイラー保護のため使用圧力を所定の15kg/cm2から14kg/cm2に下げて使用されている。

今回の作業は細かいので、ちょっと疲れました。
眼がしょぼしょぼ、肩がばりばり。
目薬を注し、ピップエレキバンを張って休みま?す。

D51(4)

ここまでで使用したパーツは、前回切り落としたままのパーツを組み立てたので、進展なしの68個。
総パーツは721個なので、まだまだ先は遠そうです。

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