久々の投稿です。
しげ爺は、帰省中です。
先週17日に、義母が亡くなりました。
午前5時、13年前に先立った義父のもとに旅立ちました。
子供のころから胸に疾患があり、ここ数年、入退院を繰り返していました。
85歳でした。
もっともっと親孝行をしたかったのですが・・・
今年のお正月は、子供、孫、曾孫が集まり賑やかでした。
義母は終始笑顔で、大変喜んで、義弟がお土産に持ってきた「牡蠣」「A5和牛」を『おいしい、おいしい!』と食べていました。
14日に緊急入院し、17日早朝に息を引き取りました。
まるで眠っているような、安らかな顔です。
葬儀には、義弟の会社関係の弔問が多数ありました。
花が好きだった義母のお棺は、花で埋め尽くされました。
お棺の中に、義母が大切にしていた、義父からの「ラブレター」も納められました。
毛筆で書かれた「寿みれ草歌」と題された巻紙のラブレターです。
今、義母は、義父とどんな話をしているのでしょう。
しげ爺の孫からの手紙もお棺の中にいれました。
お正月に会ったばかりの「おおばぁば」の死が、曾孫の心にどのように受け止められたのでしょう。
式の終りに、その手紙の内容が紹介されました。
しげ爺は、大粒の涙を流しました。
『おおばぁばのおうち(家)でたのしかったです。てんごく(天国)で、おおじぃじと、たのしくくらしてね。おおばぁばのこと、わすれません。』
しげ爺は、現役時代に両親を亡くしました。
その時は、涙しましたが、若気の至りで、「老い・死」について考えることはありませんでした。
しかし、今回の義母の死は、しげ爺がシルバーの仲間入りをし、「死」というものを身近なものに感じているせいか、とても厳粛に受け止めました。
妻が実母を介護する姿を見て、いろいろと勉強させてもらいました。
≪老後の生活≫
現在、しげ爺は、息子家族と同居しています。
まだ元気なので、この生活パターンを続けるつもりです。
しげ爺の独りよがりかもしれませんが、しげ爺と妻の立ち居・振る舞いが、二人の孫達に継承されていると感じられるからです。
しかし、体の自信が無くなった時には、躊躇せず、「ケアハウス」のお世話になるつもりです。
介護の大変さを、息子たちに経験させたくはありません。
≪死後のこと≫
しげ爺の実家は、実兄が跡を継いでいますので、昔流に言えば、しげ爺は「分家」です。
しげ爺は、興味がありましたので、実父から聞いて、古い戸籍を解読し、先祖の家系図を作成しました。
兄姉にも届けました。後のメンテナンスは、次世代にゆだねるだけです。
「お墓」の話になりますが、13年前、義弟が義父を弔うために建てました。
義母も、四十九日の法要が終われば、そのお墓に義父と一緒に納骨されます。
現在、義弟は県外で働いていますので、しげ爺の実兄がお墓参りをする様子などを見ていると、義弟がお墓を守ってゆくのも大変だろうなぁと思われます。
しげ爺は、遺骨は海への「散骨」を考えています。
「生」を受ければ、必ず「死」があります。
しげ爺は、「死」とは、自然に帰ることだと思っています。
「母なる海」に同化するのがベストだと思っています。
家族がどこにいようとも、しげ爺のことを思ってくれるならば、海を見てくれればいい。
海は、地表の 70.6% を占めて、すべての海は繋がっているのだから。
最近、こんなことを考えるようになりました。
義母が、義父の元に旅立ちました。
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