ペパクラ「法隆寺の五重塔」(その4)

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しげ爺は、諸般の事情で田舎に帰省中です。
法隆寺の五重塔に「心柱」が建ちました。
先端に「相輪」も完成です。

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ネットで法隆寺の五重塔のことを調査していて、面白いことを発見しました。
「607年」に聖徳太子によって創建された法隆寺は、「670年」に焼失、「八世紀始め」に再建されたというのが現在の定説となっています。

2001年02月21日の「毎日新聞」で、心柱の伐採年代を「594年」と断定したという報道(以下に引用の記事)がなされ、一石を投じました。

「八世紀始め」に再建された五重塔の心柱に、100年も前に伐採されたヒノキ材が使われているというのは?????
他塔の心柱を再利用したという「転用説」、保存木を使ったという「貯木説」があるそうです。

ペパクラ作品に関する情報を収集する。
作ろうとしているペパクラに関する情報を集めることです。
作品に対する愛着がどんどん大きくなってゆきます。
しげ爺の場合は、頭の体操として重宝しています!!!

法隆寺の五重塔、なかなか興味のある対象ですね。

≪毎日新聞の記事≫
『世界最古の木造建築物で、世界遺産に登録されている奈良県斑鳩(いかるが)町、法隆寺の五重塔(国宝)の心柱(しんばしら)が、594年に伐採されたヒノキ材だったことが、年輪の幅のパターンから年代を測る「年輪年代法」で分かった。20日発表した奈良国立文化財研究所埋蔵文化財センターによると、法隆寺は7世紀初めに聖徳太子が創建したが、焼失し、現存する伽藍(がらん)は同世紀後半以降に改めて建てられた、とする「法隆寺再建論」の見直しにつながる成果として、注目を集めそうだ。
 1943?54年の解体修理の際、切り取って保存していた心柱の一部(直径約80センチ、厚さ約10センチ)を初めてX線撮影。86年に年輪年代法で調査した際には分からなかった木材の周縁部分が、最大3・6センチ確認できた。ヒノキの周縁部分の厚みは通常、約3センチであることなどから、最も外側の年輪が伐採時の樹皮直下のものと判断。また、肉眼では分からなかった年輪が、新たに3年分確認されたことから、86年の調査時に出していた「591年」に3年分をプラスし、伐採年代を「594年」と断定した。
 日本書紀によると、法隆寺は670年に炎上したとされ、1939年に現在の伽藍より古い「若草伽藍跡」が発掘されたことなどから再建説が有力になっていた。しかし、ヒノキ材の伐採直後に現在の五重塔が建立されていたとすれば、法隆寺創建の7世紀初めごろの建物となり、定説となっている再建説は見直されることになる。』
Copyright (C) 毎日新聞社

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