ホテルを8時に出発。
長野・善光寺に向かいます。
I斑尾高原 ホテル・タングラムを出発
↓
マンモスの化石で有名な野尻湖を経由
↓
J上信越自動車道(信濃町IC)に入る
↓
K上信越自動車道(須坂長野東IC)を出る
あいにく、ぽつりぽつりと雨が降り出した。
≪善光寺の御開帳≫・・・善光寺サイトより
信州善光寺で最も有名なのが7年に一度行われる御開帳です。
4月上旬から5月下旬ごろまで、約50日間にわたって開催されます。
「開帳」とは、寺院で特定の日に厨子(仏像や経巻を納める両開きの扉のついた箱)の帳を開いて、普段は拝むことのできない大切な仏像を人々に公開することを言います。
善光寺の御開帳では、普段は善光寺御宝庫に安置されている「前立本尊」(重要文化財)を本堂にお迎えして、人々が参拝できるようになります。
「前立本尊」とは、御本尊の前に立たれる分身の仏さまであることからこのように呼ばれています。
善光寺の御本尊である、一光三尊阿弥陀如来は絶対秘仏であり、今までに誰も見たことがありません。
その身代わりとして鎌倉時代に造られ、普段は御宝庫に安置されている前立本尊を7年に1度本堂にお移しし、厨子の扉を開けて一般の人がお参りできるようにするのが、善光寺の御開帳です。
そのため、正しくは「善光寺前立本尊御開帳」が正式名称です。
御開帳の期間中は、1尺5寸角(45センチ角)、高さ33尺(10メートル余)の大回向柱が本堂前の参道に立てられます。
この大回向柱は、白布から五色の糸を経て、前立本尊中央の阿弥陀如来の右手に結ばれた金の糸とつながっています。
そのため参拝者が大回向柱に触れると、前立本尊に直接触れるのと同じ功徳が得られると信じられています。
この回向柱に触れるため、全国からたくさんの参拝者が訪れるのです。
善光寺の御本尊である一光三尊阿弥陀如来は日本最古の仏さまであり、誰もその姿を拝むことができない絶対秘仏です。
現在、ご本尊に代わって拝むことができる前立本尊でさえも秘仏化し、御開帳である7年に1度だけ公開されるのです。
善光寺の境内 はこちらから
まず、仁王門近くを最後尾にしている「大回向柱」に触れるための行列に並びました。
まだ、午前中なので行列は短いそうです。
20分ほどで回向柱に触れることができました。
家内安全を祈願しました。
続いて、お坊さんが何か霊験あらたかそうな錦の袋のようなものを信徒の頭に載せてお祓いをしてもらうための行列がありました。
集合時間まで十分に時間があるので、当然、その後ろに並ぶことにしました。
並ぶこと10分。 志を納め、無事にお祓いをしていただくことができました。
≪御印文(ごいんもん)頂戴≫・・・善光寺サイトより
御印文とは、善光寺のご本尊と同じ、閻浮檀金(えんぶだごん)で作られていると言われる善光寺の宝印。
閻浮檀金(えんぶだごん)とは、竜宮城にある特別な金のこと。
御印文の直径は10センチほどで、牛王宝印(ごおうほういん)、牛王■印(ごおうけんいん)、往生決定(おうじょうけつじょう)の三判があります。
それぞれの印は、錦の布で厳重に包まれています。
この御印文を額に押してもらうことで、極楽浄土が保証されると言われています。
参拝者は行列を作って並び、額に御印文を押してもらうのです。
善光寺の御開帳期間中には特別に、この御印文を頂戴することができます。
本堂を出て、裏手にまわると、本堂を取り巻く行列があります。
とても長い行列なので、時間の都合でパスすることにしました。
じつは、これが「お戒壇めぐり」だったのです。
≪お戒壇めぐり≫・・・善光寺サイトより
善光寺のご本尊が安置されている瑠璃檀と三卿の間の床下に部屋があり、その部屋をロの字型にめぐる暗黒の回廊がある。
この回廊をめぐるのが、善光寺のお戒壇めぐりです。
お戒壇めぐりは各地のお寺にもありますが、信州善光寺のお戒壇めぐりが最も有名で、善光寺に参拝したら必ずめぐっておきたいものです。
お戒壇めぐりをすることで、極楽浄土が約束されると言われています。
瑠璃檀下の真っ暗な回廊をめぐり、ご本尊の下にかかる極楽の錠前に触れて、ご本尊と結縁を果たすための道場であるとされます。 (回廊の中は本当に真っ暗闇で何も見えません)
内々陣の右手を進むと、お戒壇めぐりの入り口があります。 入り口には、「右手で、腰の高さに壁をなでて・・・」などと案内板があります。
この入り口は階段を下るようになっており、七段の段を下るとお戒壇めぐりのスタートです。
真っ暗闇の中を、右壁に手を付いて伝いながら歩きます。
その距離約45メートルあり、真っ暗闇ですから相当長く感じます(まともに歩くことができないので、進むペースが極端に遅くなります)。
しっかりと右壁に手を置きながら歩いていると、ご本尊の下あたりで極楽の錠前に触れることができます。
ごの錠前(鍵)に触れることで、極楽浄土行きが約束されるのです。
雨も本格的に降り出しました。
山門に登ることもできますが、ここも行列ができて、10分ほどの待ち時間でした。
≪山門(三門) 重要文化財≫・・・善光寺サイトより
寛延三年(1750年)に建立された二層入母屋造りの門です。
屋根は大正年間の葺き替え時に檜皮葺きとなりましたが、平成十四年から十九年にかけて行われた平成大修理において、建立当時と同じサワラの板を用いた栩葺き(とちぶき)に復原されました。
楼上には輪王寺宮筆の「善光寺」と書かれた額が掲げられています。
これは通称「鳩字の額」と呼ばれており、3文字の中に鳩が5羽隠されています。
更に「善」の一字が牛の顔に見えると言われ、「牛に引かれて善光寺参り」の信仰を如実に物語っています。
仲見世通りに軒を連ねるお店を冷やかしながら、ぶらぶらすることにしました。
≪駒返り橋≫・・・善光寺サイトより
仲見世通りが終わり、三門へ進む参道の入り口にある石橋は、建久八年(1197年)源頼朝が善光寺を参詣した時に、馬の蹄が穴に挟まってしまった為に駒を返したという話から「駒返り橋」と呼ばれています。
その馬蹄の凹みは現在も「駒返り橋」の左側に見ることができます。
仲見世通りのちょうど真ん中あたりに、もう一本「回向柱」が立っていました。
釈迦堂・釈迦涅槃像と結ばれた回向柱です。
釈迦涅槃像は拝観することができます。
回向柱に触れてお参りをしました。
≪釈迦堂・釈迦涅槃像 重要文化財≫・・・善光寺サイトより
世尊院の小御堂である釈迦堂の御本尊は、鎌倉時代の作とされる我が国唯一の等身大(1.66メートル)の銅造釈迦涅槃像です。
戦国時代には善光寺の御本尊様・御三卿像・御印文と共に全国を流転しました。
仁王門までぶらぶらし、集合場所の六地蔵に向かいました。
≪仁王門≫・・・善光寺サイトより
仁王門は宝暦二年(1752年)に建立されましたが、善光寺大地震などにより二度焼失し、現在のものは大正七年(1918年)に再建されました。
この門には善光寺の山号である「定額山」の額が掲げられています。
仁王像並びに仁王像背後の三宝荒神・三面大黒天は共に高村光雲・米原雲海の作であり、その原型は善光寺史料館に展示されています。
六地蔵前まで行ったとき、参拝の人が1〜2列に並んでいる光景が目に入りました。
お坊さんが、参拝の人の頭に数珠を触れながらこちらに向かってきます。
それっと、行列にもぐりこみました。
一瞬、通り過ぎたかなと思いましたが、お坊さんは平等でした。
返しの技で、数珠で頭なでてもらいました。
これが、「お数珠頂戴」ということなのだと、後で知りました。
≪お数珠頂戴(おじゅずちょうだい)≫・・・善光寺サイトより
お数珠頂戴とは、お朝時の時などに大勧進貫主や大本願上人が参道を往復される際に、頭を数珠でなでてもらうことを言います。
貫主や上人が参道を往復される際に、石頭にひざまずいて手を合わせ、お二人から数珠で撫でてもらいます。
功徳を授かる機会として、地域にも根付いており、お朝事の際には多くの人が参道でひざまずいて待機しています。
お昼過ぎに、善光寺を後にし、今回のツアーの最終、「高遠の桜」を目指しました。
残念ながら、車窓は雨です。
L上信越自動車道(長野IC)に入る
↓
更埴(コウショク)JCT
↓
M長野自動車道
↓
岡谷JCT
↓
N中央自動車道
↓
O中央自動車道(諏訪IC)を出る
どんどん山の中に入ってゆきます。
杖突峠を越えて、杖突街道をひた走ります。
へえ〜、高遠の桜はこんなところにあるんだ。
雨が絶え間なく降っています。
幸いにも、公園入り口の近くにバスを駐車することができました。
観光バスが50台くらい並んでいます。
足元はぬかるみ、すってんころりんといきそうなので、注意深く歩きます。
タカトオコヒガンサクラの花は、ソメイヨシノに比べて小振りで、濃いピンク色をしています。
近くで見るよりも、遠目にピンク色に染まった風景を見るのも良いかもしれません。
残念ながら雨の中、足元を気にしながら、傘を差してのお花見となりました。
≪高遠城址公園≫・・・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
高遠城址公園(たかとおじょうしこうえん)は、長野県伊那市高遠町東高遠にある名城、高遠城を中心に整備された公園である。
高遠城は戦国時代、武田信玄の家臣であった山本勘助が縄張りした堅城で城主は武田氏一族が務めた。
別名兜山城ともいわれる。
1582年(天正10年)、城主・仁科盛信(信玄五男)の時落城するが、この時籠城していた信玄の娘・松姫(盛信の妹)と、攻城軍の総大将織田信忠(織田信長嫡男)は元婚約者同士であり、落城にまつわる悲劇として知られている。
城は南アルプスの裾野にあり、春になるとこの地にしか咲かない1,500本のタカトオコヒガンサクラ(サクラの一種)が咲き乱れ、城は赤みを帯びた鮮やかな桜色に包まれる。
毎年4月上旬から5月上旬にかけての観桜シーズンには「高遠城址公園さくら祭り」が催され、全国から花見客が訪れる。
来た道を引き返し、再び中央自動車道に入り、出発地の上大岡を目指しました。
到着は、20時をまわりました。
それにしても、この2日間、よく走りました。
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